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2009年2月

2009年2月27日 (金)

中国茶の歴史⑦ 緊圧茶とは?

中国茶の歴史⑦ 緊圧茶とは?

Motitya 写真は「七子餅茶」

⑥からの続きで、陸羽が書いた「茶経」は唐代758年前後といわれていますが、それからしばらくは「茶経」をバイブルとして「茶」は広がりをみせます、しかしこの当時は緊圧茶が主流でもちろん「茶経」も緊圧茶の事が主流になります。

それでは緊圧茶とはどのような茶葉でしょう?

茶葉を仕上げやすく、運びやすく固めた「緊圧茶」とは

茶摘

成型

茶蒸

包装(竹皮による)

と簡単な作業で作られていました。現在の六大茶分類から言うと「緑茶」に近いものだったといわれています。

また、当時は地方で作り方に差異があり雲南地方で作られた茶葉はチベット・モンゴル等に運ばれていく途中で雨にぬれたりしていくうちに、再度醗酵する事がありプーアル茶などが生まれたと思われます。

「七子餅茶」は竹の皮に「緊圧茶」を七枚単位で包んだ事からそのように呼ばれるようになりました。今では「緊圧茶」の事を大きさや形で分類して七子餅茶・団茶・沱茶等と呼びます。

■参考程度に■

中国雲南省麗江(世界遺産)から馬でキャラバンを組んでいく道。雲南省、四川省、チベットを結ぶ交易路を「茶馬古道」もしくは「西南シルクロード」といいます。
同じ意味を持ってはいますが、厳密にいうと茶馬古道の起源の方が古く唐代から、つまり西南シルクロードが完全に結ばれるよりも1千年も時代を遡ります。元来「茶馬古道」という名称の由来は、隊商が雲南省の「茶」をチベットの「馬」が運ぶ、この一連の流れからきていると言われています。
 四川盆地を出発点にし、古代南詔国が栄えた雲南省を経て、チベットやミャンマー、インドといった南アジアに至り、最終的にはヨーロッパへとそのルートを延長していきました。交易品も茶だけではなく、絹や布、果ては塩なども取り引きされるようになりました。長い年月を経ても、茶馬古道を支えた多くの宿場町は往時の姿を留め、主要な交易品であった塩を精製する古村は現在も残っています。

2009年2月23日 (月)

中国茶の歴史 番外編

中国茶の歴史 番外編 お茶の日本への伝来

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写真は福岡県黒木町の茶畑

茶経の最初のくだり「一之源」の書き出し「茶は南方の嘉木なり・・」というのは千利休の高弟が書いたとされる。

陸羽は南方録(なんぽうろく)にも影響を与えたといわれています。 

※南方録とは、博多の立花家に千利休の秘伝書として伝わった古伝書である。研究者の間で高い評価を得ていたことから、重要資料として現在の「わび茶」の概念の形成に大きな影響を与えた。

話は最初から寄り道しましたが、中国では日本にお茶を持ち帰ったのは「遣唐使」として渡った最澄と帰されています。(出発は804年帰国は806年)

このとき空海も一緒でしたが、当時の年齢から団長は最澄と見られていました。

当時中国で流行していた茶と出会い茶樹を京都に持ち帰り宇治近郊に植えたのが日本での始まりといわれています。

空海説もありますが、最澄と空海は後年宗教上の解釈から仲たがいしてしまい、またそのご最澄が天皇の後ろ盾を失い失脚することにより日本では出てくるみたいですが、中国では最澄が持ち帰ったといわれています。

この当時の注意点は二つ、当時は「茶径」にもあるとおり蒸し茶がメインであったため日本では当然のように蒸し茶が普及していきます。(中国ではこの後すぐに炒茶が主流になっていきます)

私は福岡に住んでいますが、九州のお客様ではとくに「喫茶養生記」を書いた「栄西」といわれる方もいらっしゃいますが、栄西が1195年に聖福寺を建立ですから時代としてはかなりあとです。

栄西は九州で禅宗を布教していた時に茶も広めたといわれています。また喫茶養生記(上下2巻)は源実朝に天保二年(1214年)に献上され上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれ、下巻では「クワの葉茶」の効用をうたっていました。

2009年2月21日 (土)

お茶の歴史⑥茶経とは

お茶の歴史茶経とは

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写真は現代に残る「茶経」

前回の続き・・

陸羽が戦乱に巻き込まれる前に「茶経」を書き上げたといわれています。七五八年前後 世界で最も古いお茶の本だと言われ、内容は三巻(上、中、下)で内容は十節・十五学科に分けられます。(別記) 植物・農作・生態・水利・民俗・歴史・文学・茶器のつくり等の知識、その当時のお茶事情を網羅しています。

また当時のお茶に関する書物は語り口調の本が多く、箇条書きでまとめてあるのも優れた点といわれています。

また当時は唐の都は「洛陽」(河南省)にあり陸羽が住んでいる湖北省は田舎と見られ田舎にこのような素晴らしい本を書いた仙人がいるとうわさになり、仙人のイメージが付いたといわれています。

茶経は次に挙げる10章で構成されている。

  • 一之源・・・茶樹について
  • 二之具・・・製茶器具の説明 
  • 三之造・・・製茶する際の注意 
  • 四之器・・・飲茶器具の説明 
  • 五之煮・・・茶を淹れる際に注意 
  • 六之飲・・・茶の飲み方 
  • 七之事・・・茶の史料整理
  • 八之出・・・茶の産地 
  • 九之略・・・省略してよい物
  • 十之図・・・茶の席レイアウト等

    ここで注意

    この時代には中国では緑茶・餅茶・粉茶が主たるお茶です、それ以外の記述はありません。

    またこの当時の中国茶は現在の醗酵を止める際には蒸して(日本茶と同じような作り方)で現代の中国茶のように炒るお茶ではなく、香りよりも味を楽しむものでした。

    とにかく「茶経」はお茶の基本を統計建てて、箇条書きにし・またそのボリュウーム、も当時ではずば抜けており7200文字前後もありました。

    次回続く・・

     

2009年2月19日 (木)

お茶の歴史⑤

お茶の歴史⑤

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写真は北京にある茶市場の入り口にある「陸羽」

お茶の世界も歴史が古いと文献が少なく真偽性が疑わしいことも多い。しかし「陸羽」が書いた「茶経」がその世界を変えた。今でも「茶経」は世界最古の「茶」を体系付けた最初の出版物である。

「陸羽」について少し説明 LuYu:(733~804)現在の湖北省付近の出身 茶神、茶聖、茶王、と色々呼ばれます。

捨て子であった彼は、幼いころ褝師に拾われ寺院で育てられます、当時の寺院は権力もありまた褝師は結婚もしないことから、労働力として拾われてきます、「陸羽」の名前がつけられたのも褝師によるものでした。

またもともとの出生が不明だった「陸羽」は僧侶になるべく育てられますが、当時寺で行われていた「茶会」で大人たちから「あなたの入れたお茶は美味しい」と言われそれをきっかけにお茶を美味しくいるということを考え始めました。

12歳のとき彼は僧侶になるべく仏門勉強していたのですが、小さいころから聡明だった彼は
茶会で大人たちに茶を淹れている時に「儒教」に触れ未知の領分としての「儒教」に興味を持ち寺を離れます。

しかしうまくはいかず、俳優や劇団監督等をこなしながら生活する日々の途中で、地方領主に見出され勉強する機会を得ます。

こうして文化人となった「陸羽」ですが、755年「安史之乱」に巻き込まれ戦争被災者となり南方に避難したことがきっかけで茶葉の産地に向かうことになるのでした。

次回に続く・・

2009年2月13日 (金)

長崎ランタンフェスティバルに行ってきた

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2/9まででしたが、最後の最後に「長崎ランタンフェスティバル」に行ってきました。

日本にある三中華街「横浜」「神戸」「長崎」ですが、規模からいけば圧倒的に「横浜」ですね!

中華系の学校も「横浜」「神戸」には中華同文学校(日本で言う小・中学校)があり横浜には確か高校もあったはずです。

昔は中国系の人しか中華同文学校いなかったのですが、現在では日本選定教科書を使っていることもあり日本人も入学できるようになったみたいです。

この三中華街にはそれぞれ血縁者も多くいて横浜の親戚が長崎でとか色々いらっしゃいます。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、横浜のあの店と同じ名前が長崎にもとかたくさん、しかし取扱商品や料理の味は違いますよ経営者は親戚とはいえ違いますから。

ちなみに長崎中華街は新地中華門は昭和61(1986)年に建てられ、四神(しじん:古代の五行思想に基づき四方に配される想像上の動物。漢代の頃から崇拝されるようになりました。)をモチーフとしていて、中華街の四方に建てられています。

まあ長崎中華街の特徴は台湾・福建ともつながりが非常に強いのが特徴といえば特徴ですかね!狭いので某料理店で皿うどんを食べウィンドーショッピングをしてきました。

話は変わりますが先日北京でのCCTV新社屋火災は、同社が上げた記念花火が原因とか・・また新年の爆竹に規制が入らなければ良いのですが。まあ中国の爆竹は確かに危険なので私は近づきませんが!

2009年2月 9日 (月)

お茶の歴史④

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歴史の話で少し飛びますが、中国茶を含め中国の歴史は不確実な話も多くまとめようとしても大変です。

例えとして、上の二枚の写真は福建省安渓にある「鉄観音」の古株(原種)といわれるものですが写真でも分かるとおり二箇所あります。

現地で話を聞くとどちらもこちらが本物で別のものは偽者だといいます。方や公園になっているのと、老人管理者がいるところ判断つきません。

ですからこれはどちらも本物なのです!(文献にも福建省安渓周辺としかなく・二箇所は車で約30分ぐらい離れているが・・・)

このようなことはよくあります、ですから私もこの歴史の話を書く際には・現地で聞いたこと・中国の本に書いてあったこと知り合いから聞いたことを中心になるべく自分で整理しているつもりですがなかなか人にうまく伝えることが出来ません。

いつか時間があったら時系列でキレイに整理したいと思いながら・・・

2009年2月 6日 (金)

台湾での一足早い給付金

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台湾では混乱している日本を横目に1月18日から「消費券」なるものの交換が始まった。

台湾に住所のある人ならほとんどもらっているらしい、金額は3000NT$日本円で約11,000円程度。

手順は家に申請書が送られてきて、1月18日以降市役所窓口にて申請するともらえる。

いけない人は、郵便送付でもOK!

実際に「消費券」となっているので、貯金やギャンブルには使えず使用期限もある(本年9月30日迄)

何故1月18日から申請が始まったかと言うと、旧正月前に配布し旧正月の消費を盛り上げたいのが本音らしい。

またこの交換時に指名手配犯など「消費券」でつり出し逮捕したとも・・

日本でも年末の天皇誕生日やクリスマス・正月などにプレゼントとして配布すればみんな素直にもらったかもネ!

2009年2月 2日 (月)

引っ越しました。

引越ししました。

事務所・店舗の引越しがやっと終わり、BLOGも再開です。

引越し先は

福岡市城南区鳥飼5-4-34(城南区役所北口バス停前)

電話0120-410-716 営業時間は10時から18時(土日休み)ですが、当面流動的に店舗営業しています。

BLOGもq-ringからBBIQに移転し始めてのアップが実際の店舗移転と重なりました。

今週の土曜日(10時~18時)は営業するつもりなのでお暇な方は一度お立ち寄り下さい。

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