中国茶の歴史⑦ 緊圧茶とは?
中国茶の歴史⑦ 緊圧茶とは?
⑥からの続きで、陸羽が書いた「茶経」は唐代758年前後といわれていますが、それからしばらくは「茶経」をバイブルとして「茶」は広がりをみせます、しかしこの当時は緊圧茶が主流でもちろん「茶経」も緊圧茶の事が主流になります。
それでは緊圧茶とはどのような茶葉でしょう?
茶葉を仕上げやすく、運びやすく固めた「緊圧茶」とは
茶摘
成型
茶蒸
包装(竹皮による)
と簡単な作業で作られていました。現在の六大茶分類から言うと「緑茶」に近いものだったといわれています。
また、当時は地方で作り方に差異があり雲南地方で作られた茶葉はチベット・モンゴル等に運ばれていく途中で雨にぬれたりしていくうちに、再度醗酵する事がありプーアル茶などが生まれたと思われます。
「七子餅茶」は竹の皮に「緊圧茶」を七枚単位で包んだ事からそのように呼ばれるようになりました。今では「緊圧茶」の事を大きさや形で分類して七子餅茶・団茶・沱茶等と呼びます。
■参考程度に■
中国雲南省麗江(世界遺産)から馬でキャラバンを組んでいく道。雲南省、四川省、チベットを結ぶ交易路を「茶馬古道」もしくは「西南シルクロード」といいます。
同じ意味を持ってはいますが、厳密にいうと茶馬古道の起源の方が古く唐代から、つまり西南シルクロードが完全に結ばれるよりも1千年も時代を遡ります。元来「茶馬古道」という名称の由来は、隊商が雲南省の「茶」をチベットの「馬」が運ぶ、この一連の流れからきていると言われています。
四川盆地を出発点にし、古代南詔国が栄えた雲南省を経て、チベットやミャンマー、インドといった南アジアに至り、最終的にはヨーロッパへとそのルートを延長していきました。交易品も茶だけではなく、絹や布、果ては塩なども取り引きされるようになりました。長い年月を経ても、茶馬古道を支えた多くの宿場町は往時の姿を留め、主要な交易品であった塩を精製する古村は現在も残っています。










